2002年9月29日 提案

提案:大阪で開催するMr.日本のプロデュースを吉本興業に依頼するべし

   ことの是非はともかくとして、今や先進国は消費者主導市場主義経済の時代である。価格は市場において需給により決まるが、その主導権を消費者が握っている。世界的に供給能力が飛躍的に増大し、生産性が高まる一方、依然として富が先進国に偏在している状況が改善されない。そのため、先進国の市場では供給過剰が常態となってデフレが進行するのである。経済周回遅れが決定的となったこの国ではあるが、富という点についてはまだまだ世界のトップクラスにある。デフレに関してはダントツぶっちぎりのトップである(これは今までの価格が異常に高すぎたからであるが、それはこのページの主題ではないので深入りしない)。
  供給者はこの事態にどのように対処しようとしているか?談合だの価格カルテルだのは法律で禁止されている。情報通信の発達・普及と終身雇用制ならびに年功序列型賃金体系の崩壊によって(これによって内部告発が増大している)、企業は不祥事や悪事を隠しておくことができなくなり、かつ、バレた場合には倒産に追い込まれる事例も出るようになった。なれば、正攻法でこの事態に対処しなければなるまい。そこで各企業がCSとかいうバテレンの秘法の導入に躍起になり、CRMたら言う馬鹿高いシステムの構築に大枚を投じるのである(残念ながら成功していない企業が大半だと思うが)。
  CSは「顧客満足」と訳し、CRMは翻訳すると日本語として通りが悪くなりそうなので、それ何?と聞くと「カスタマー・リレーションシップ・マネジメント」とそのままカタカナで答えが帰ってくることが多い。要は、顧客が本当に求めているものは何かを知ると言うことだ。80年代に流行ってすぐに廃れた顧客第一主義とは違う。「本当に」ということに力点があるのだ。企業側の思い込みを排して、本当の事を知ることに。
  なぜこのページの主題に関係の無いことを長々と述べ立てるかと言うと、先のジャパン・オープンを見ていて、JBBFのコンテスト進行に欠けているものは観客に対する配慮だと気付いたからだ。
  まず、開会式だ。開会式に知事だの市長だの代議士だのの挨拶など不要である。これは主催者・役員の自己満足に過ぎない。観客は選手のフィジーク、ポージングを見に来るのであって、挨拶を聞きに来るのではない。冒頭に申し述べているように、今は消費者主導の時代である。知事、市長、代議士などは本来の位置付け、つまり市民の代表者に近づいている。「お上」ではないのだ。そんなものを開会式にリボンつけさせて挨拶させたからボディビルの権威が上がる、なんて時代はバブル経済とともに泡と散ったことを知らねばなるまい。ボディビルの権威を上げるために必要なのは、観客の支持なのである。
  続いて選手入場である(時系列に言えば、こちらの方が先になる)。今回の会場は舞台向かって右からしか入退場ができなかった。通常、向かって左から入場して、右から退場する。それは舞台向かって右からゼッケンの若い順に選手を並べるからだ。ところが左から入場できない。そのため、入場がゼッケン順と逆になった。それはいいのだが、司会がゼッケン順に読み上げるものだから、出てきた選手と読み上げられている選手名が合致しない。観客から見ると、まことに不可思議な状況である。
  ならば、選手に選手係が
「出て行ったら、1番がすぐのところに立って、2番はその奥に立て」
などと言う指示をしたところで混乱するだけだ。ではどうすればいいか?何の事は無い、逆から読み上げれば整合性が取れるのである。しかし、そんな工夫すらしない。おそらく、当日(あるいは前日)会場に来て気付いたことと思うが、そのままやってしまったのだろう。その辺りに観客軽視の姿勢がにじみ出るのである。
  司会が選手の前をうろちょろするのもみっともない。観客が見たいのは選手であって司会ではない。選手に立ち位置の指示を出す必要があるのは分るが、当たり前のように選手の前を横切るのは観客に対する配慮が欠けている。
  さらに、司会がステージの真中にしゃがんで審査員と延々と打ち合わせをしているのも、観客無視の行為である。審査員と打ち合わせが必要ならステージから降りるなり、ステージの袖でやるべきだ。しかも、打ち合わせの間中選手には同じポーズを取らせっぱなしにしていた。そんなことが2度あった。選手に戸惑いが広がり、会場が白けた雰囲気になろうともお構い無しである。選手も観客も眼中にない。眼中にあるのは審査員だけだ。
  進行が硬直化しているのも何とかしなければならないと思う。プレジャッジ、開会式、決勝という進行順は、昔、プレジャッジを観客に見せなかった時代の名残だろう(だから昔はプレジャッジを「裏審査」と言った)。今はプレジャッジからカネを取って見せている。プレジャッジから見ている観客には誰が予選落ちしたか分っている。にもかかわらず、開会式の後に形式だけの(事実、審査してない)予選審査があって、予選落ちが確定したと観客が知っている選手が登場する。つまり、顔見世のためにわざわざやっているのだが、そのはるか以前に観客はそのうちの何人かは予選落ちと知っているのである。
  こんなことはおかしい。開会式、予選、決勝とすれば済むことだと思うが、どうか?ついでに、開会式に選手は不要だ、役員だけでやればいい。その間、選手にはパンプ・アップしてもらっている方が観客にとってはずっと良い。そして、予選のラインナップに出てくるときに一人ずつ名前を呼んで、時間をかけて入場させれば顔見世もできる。
  そこで、冒頭の提案になる。興行のプロに一度任せてみることだ。そうすれば何が足りないのか分るだろう。別に吉本興業でなくてもいいのだが、というより、依頼して受けてくれる可能性が少しでもあるのは吉本興業だけだと思う。他のところでは商売にならないからと受けてくれないだろう。
  いずれにしても、一度外部の目を入れないとダメだと思う。繰り返し言うが、消費者主導の時代なのだ。観客を無視したようなコンテストを続けていると、ボディビルの衰退に拍車をかける結果になってしまうゾ。