2000年7月2日 学連の人々(3)

  う〜む、いででででででで・・・腰、やってもうた・・・これでまた、振り出しに戻る、か・・・そんなわけでテンション下がっているので、今回は趣向を変えて資料からのネタで。
  手元に我がクラブの30年誌があり、巻末に学生選手権大会記録が載っている。記録は完全でなく、欠落している年や、開催日が不明の大会もあるが、かなりの部分をカバーしている。これで見ると、ああそうなのか、という名前が随所にある。
  第1回全日本学生ボディビル選手権は1966年に開催され、慶応大学の石山和彦さんが優勝している。翌年と翌々年の資料が欠落していて、69年は神奈川大学の高野泰行さんが優勝である。東日本の団体戦では東洋大学が優勝、神奈川、早稲田の順。70年には明治大学が東洋に次いで団体で2位になり、一方関東パワーリフティングでは東京大学、東洋、早稲田の順になっている。関東学連創生期には東洋大学、神奈川大学が強豪で、そこへ早稲田、明治、東京、慶応といったところが挑む構図であったらしい。私は神大というと大河原さんのイメージなので、大河原さんのころから神大がのしてきたのだと思い込んでいたのだが、創生期からの強豪であった(失礼しました)。
  70年代前半は資料の欠落が続いている。76年以降資料が揃っており、この年の全日本学生ボディビルチャンピオンが東大の石井直方さん、2位に専修の臼井修(オサム)さん、5位に中京大の森本潔さん、9位に法政の高西文利さんと、錚々たる名前が並んでいる。東日本の団体では東京農大が優勝、以下法政、明治、東海、北海学園、専修となっており、この年の東大は石井さん一人が突出していたことが見て取れる。また、資料が欠落している年については不明だが、法政大学の名前がはじめて登場した年である。関東パワーリフティングでは埼玉大学が団体優勝している。77年は青山学院の南研造さんが優勝で臼井さんが2位、高西さん3位で、森本さんが4位。78年は九州産業大学の片岡俊和さんが優勝で高西さんが2位、森本さんが3位。そして79年は高西さんが優勝である。
  このころ関東学生ボディビル選手権(6月開催)にはオープンの部があり、学連に加盟していない大学の学生が参加することができた。オープンの部の方がレベルが高いなどと言われたりして、そのせいかどうか、私が入学した85年以降は開催されなくなった。このオープンの部で78年から3連覇を達成したのが芝浦工大の小沼敏男さんである。
  80年代に入ると私にとっても馴染みのある名前が出てくるようになる。81年は明治の今鶴治信さんが優勝で5位に早稲田の清水博之さん、8位が東北学院大の高橋重信さん(後のバイセップスマン高橋)、10位が神奈川大学の大河原久典さんである。ボディビルは東大がダントツで、法政、早稲田、明治、神奈川、筑波、パワーでは東大vs埼大に筑波、神奈川、早稲田らが挑むという、私がいた頃の関東学連の構図はこの頃からのようだ。
  翌82年は我が早大バーベル・クラブにとって画期的な年である。関東学生ボディビル選手権で清水さんが優勝されたのである。それまでパワーのチャンピオンは幾人か輩出しているが、ボディビルで表彰台の真中に立ったのは清水さんが初めてである。この大会は2位が大河原さんで、3位が東大の北村克己さん(後のマッスル北村)である。全日本では西南学院の青野隆宏さんが優勝、大河原さんが2位、法政の松山登代志さんが3位で、4位が清水さんである。
  83年は松山さんが優勝、神大の岩間勧さんが2位、東大の江口武久さんが3位であった。84年は江口さんが優勝で、東大の酒井功さんが2位、岩間さんが3位、早稲田の古沢昌彦さんが5位にきて、9位に法政の本田昌裕さん、10位が早稲田の道田泰三さんだった。ただし、2週間前に行われた東日本選手権では岩間さんが優勝、江口さんが2位、酒井さんが3位である。そしてこの年の関東新人王が早稲田の土井稔さんである。